« August 2010 | Main | January 2011 »

September 24, 2010

指導教員選びについて

 twitterでも少しつぶやいたけれど,ゼミや指導教員の選択は特に大学院志望者にとっては重要な問題だ.いろいろな基準がありえて,中には自分が後継者として残れるかどうかなんてことを判断するツワモノもいると聞いてはいるけれど,研究者として仕事を頂ける自信もなかった自分はとてもそんな大それた基準では選べなかった.
 大学2年の頃,ミクロ経済学の勉強会に入れてもらった際に指導していただいた先生(経済学者)からは.「指導教員の選択は学生の能力の問題だ」となんども言われていた.それはそのとおりだと思ったので,自分が大学院を志望するにあたり,どの先生にお願いに上がるかはかなり真剣に考えたし情報を集めた.
 そのために自分がやったことは,(1)その先生の書いたものは出来る限り読む,(2)講義にはできるだけ出てその先生の人となりを感じる,(3)同僚の先生方とその先生の人間関係をできるだけ把握する,(4)その先生がもっている学外の研究者との人間関係を把握する,(5)自分の判断が正しいかどうかを,個人的に信頼している別の先生(勉強会で面倒を見てもらった先生)に尋ねる,といったものだった.
 もっとも最後の(5)については,ひとりに絞らずに尋ねたので答えは「どの先生についても大丈夫だと思う」というもので,最終的には自分で判断した.最終的な判断基準はどの先生の指導に,自分として最も抵抗なく素直に従えるかという感触だった.
 なお教員から助言をもらう際にそれに素直に従おうとせずに,その場で反論するのはあまりプラスにならない.向こうだって人間なので助言しやすい学生だと思ってもらったほうがいい.助言されたらとりあえずそのとおりやってみて,その結果を即フィードバックしたほうが,その後の師弟関係は円滑にいくとおもう.

 教員を学生が選ぶのは当たり前という文化の高校で過ごしたことも大きいかもしれない.3年生になって自分の受験にとって重要な科目でいい先生に当たらなかったと感じた生徒は,ただちに別の先生に補講をしてもらうための署名活動を開始した.その紙はクラスを超えて回ってくる.署名が集まったところで生徒はそれを持って指導力に信頼のおける先生のところに行き,「これだけの生徒が先生の補講を希望しているのでお願いします」と依頼しに行く.いろいろな科目でそれをやっていて,そのことに大変感動した覚えがある.今でも我が母校にそういう文化は残っているのだろうか?
 いずれにせよそういうバックグラウンドがあったので,「先生を選ぶのは学生の能力の問題」という言葉も抵抗なくまっすぐに入ってきた.
 自分が大学生活を送った環境が,教員と身近に接する機会が多かったという利点はあったと思う.だから内部進学を選んで,他の大学院を一切受験しなかったということもある.今いる大学と別の大学院への進学を選ぶなら,指導教員になってもらいたい候補者の先生について書かれたものをやはり一通り読むのはもちろん,周辺情報を集め,できれば直接面会を求めるのがいい.その先生の接し方や,価値観などを直接肌で感じ取るというのはやはり重要だ.直接面会を求めるということはcostly effortなのでその学生の真剣さを伝えるシグナルになる.それなしに直接受験して指導教員希望者として自分の名前が上がっているときには,この人どれくらい真剣なのかとか,自分のことをどれだけわかった上で指導教員になっているのかわからないので,面接でその辺りをゆっくりきくことになる.
 うちの院試は次また3月にあるのかな?受験していただけるのはありがたい事です.

| | Comments (2) | TrackBack (1)

« August 2010 | Main | January 2011 »